睦月、流行病を患う。
ご挨拶
こんにちは、ほそやです。
ヨルシカのアルバム中盤くらいのインストゥルメンタルにありそうなタイトルですが(ない)、その通り、私、実は1月の中頃から例のコから始まる流行病に罹っていました。
今回は療養生活にあたって感じたことや一人暮らしの学生がコに罹るとどうなるのか、ということを(戒めの意味も込めて)綴っていきたいと思います。
感染基本情報
1月に発症。
味覚障害ナシ、発熱アリ、感染経路不明、自分からの感染者ナシ。虚言癖アリ(今回は誓って虚言ではない)
10日間程度のホテル療養。
1月6日(水) 発症
前日の夜から、体がだるく、日をまたいだ頃に熱を測ると37度強の熱が!
やばいよやばいよやばいよやばいよ!
この時点で通常、100人ほどの心の中の出○哲朗が1万人に増殖し、胸に語りかけます。
急いで、前日会食をしていた2人の友人(結果的に数週間の自宅待機を強いることになりました・・・本当にごめんなさいでした。)、その日シフトのあったバイト先、家族に連絡し、朝のうちに保健所にも電話。
近くの病院でPCR検査を受けるように言われます。
だるい体を起こして運転、病院到着後、少し待たされ、PCRとインフルエンザの検査を受けます。
インフルエンザの検査はすぐに結果が出ますが、PCRは翌日に繰り越し・・・
しかも、インフルは陰性だったので、コ半確定。
「CRコ○ナウイルス、激熱演出ゥ~」とかパチンコ屋の向かいの駐車場で回らない頭で考え、帰宅。
その後、心配した父親が長野から来てくれました。
顔は合わせず、ドアの前に物資だけ置いて行ってくれました。
マジで感謝。初任給で何かプレゼントするよ、俺、内定取れたらだけど・・・
身の振る舞いや今後の行動についてネットなどで調べながら、就寝。
熱はこの時がピークで39度以上ありました(ちゅらい・・・)
しかも、周りへの申し訳なさで気持ちも落ち込んでいました。
1月7日 感染判明
午前中、病院から電話があり「あなたはコ○ナに感染しました。気を強く持ってくださいね」というようなことを言われました。
ああ、気を強く持たなければ乗り越えられないのか、と思いました。
その後、保健所からも電話があり「明日メディカルチェックを受けてください」と伝えられました。
このメディカルチェックで重症度を判別しホテル療養か入院か決めるんですね。
ちなみに独り身だと、自宅療養の選択肢はほぼないようです。
感染が確定した旨をバイト先や家族、会食に行った友達2人などに連絡。
そして、ここで問題発生!!
翌日締め切りの我らが建○デザ○ン概論のレポートが!
しかも、支援室への直接提出!???この時世にアホか???
転学した関係もあり、単位は絶対に落とせない!!
熱も37度台まで下がっていたので、気合で日本語の体を成している怪文書を作成。
近くに住んでいる友達にデータだけ送り、翌日、友達が出してくれました。
(A4 10枚書くところを1枚で単位きたのはガチで奇跡)
1月8日 メディカルチェック&ホテル療養開始
午前中は療養に備え、荷造り。
この時点でほぼ解熱。
2,3日分の着替え、野菜ジュース、カップ麺、ポテチ、チョコレート、スープの素、ココア、コーヒー、リップクリーム、野球ボール、PS4、数冊の本、作業に必要なパソコン、クロッキー帳、マーカー、スキャナ、などをホームセンターのBOXに詰め込みます。
手で持てる分なら物量制限はないのでありったけ詰め込みました。
結果的に重宝したのは野菜ジュースとお菓子系、野球ボールとPS4ですね。特に野球ボールは手で遊んだり足で転がしたりして気がまぎれました。
14:00頃にメディカルチェックをデカ病院まで受けに行きます。
マックのドライブスルーばりに車で乗り付け、スタバの注文程度の手続きをした後、受診、帰宅。
ホテル療養が電話で伝えられます。
帰宅後、18:00ごろに迎えが来ました。
運転手さんは、完全防護服!!
停車したハイエースのライトが眩しく、ギラギラ光っていました。
後部座席に乗車すると、運転手のおっちゃんが話しかけてくれました。
「災難だったね。」
「これから行くホテルはいいところだから」
「復活したらスーパーマンだぜ。滑らない話だろ?」
「俺はこんな仕事してるから嫁さんと子供に距離置かれてるけど、ショッピングモール行くほうがよっぽど怖いわ」
「ホテルは酒・タバコは原則ダメだけど、裏ルートがあるらしいよ」
おっちゃん、人が良すぎる!!
釈迦か仏陀か?はたまたキリストの生まれ変わりか?
おっちゃんには幸せに生きてもらいたい。
そんな会話をしながら、ホテルに到着。
部屋に入ると、普通のホテルの部屋、上のほうの階なので景色が良い印象でした。
最低限の手続きのみで部屋に直行し、内線で諸々の注意事項を確認しました。
荷ほどきをして、落ち着いていると、ここ数日の出来事が思い出されました。
ああ、周囲の人間に恵まれたなあ。
なんで、こんな自分にあんなに親切にしてくれるんだろう。
仕事を休んで長野から駆けつけてくれた親、
責めることなく理解を示してくれた友人OとN、
買い出しやレポート提出をしてくれたK、
元気づけてくれたS、
「できることがあったらなんでも言ってください」と言ってくれた塾長、
「復帰はいつでもいいからお大事にしてください」と言ってくれたバ先の社員さん
病院の先生、看護師さん、運転手さん
沢山の人に支えられて生活しているんだなあ、それとともにどうしても僕たちは社会で生きているんだなあ、ありがとう社会
と柄にもないですが感謝の気持ちがこみ上げてきました。
そのまましんみりと就寝。
1月9-15日 療養生活
療養生活における強制的なイベントは2つ、「食事」と「検温」これだけです。
食事は8:00、12:00、18:00の三食。
廊下に弁当とカップ麺、みそ汁の素などが置かれており、アナウンス後、取って部屋で食べます。
この時にカップヌードルを食いすぎたせいで最近まで「カップ麺はもういい・・・」になっていました。
割りばし、シーツやタオル、ゴミ袋などの生活必需品もこの時に取る決まりでした。
療養生活における外出はこれとゴミ捨ての機会しかなかったので、廊下を歩くだけのことが一大イベントになっていました。
弁当は品目も豊富で量も多く、満足でした。
あと味覚がやられてなかったのもデカかったです。
検温も朝昼夜の三回。
体温とSPO2(血中酸素濃度)を測り、スマホからデータを送信していました。
また、それに伴って、内線でお医者さんと、会話し、味覚があるか、など確認しました。
それ以外の時間はゲームをしたりゲームをしたりゲームをしたり、ポートフォリオを作ったり、制作にあてたり、アニメを見たり、本を読んだり、人と通話したりしていました。
人と話す、ガチで大事!!人と話さんと心が死ぬ!!
あと、ホテルの電波が弱かったので、通信環境がなくてもある程度できるゲームを持っていきました。デスストおもれー。その後。頑張ったら、ストⅢとかもできました。
娯楽用品は多い方がいいですね。
そんなこんなで、ダラダラ毎日過ごしていたら、ぼんやりと意外とすぐに時間は過ぎていきました。
1月16日 退所
退所時は自力で帰ってくださいと言われたのでタクシーを呼びました。
帰宅中に街中を人が普通に歩いているのを目にして、少し感動してしまいました。
あれ、こんなに人っていたんだ・・・
何しろ、この10日間、世界が自分一人で完結していたのですから・・・
帰宅して、ベッドの上に座るととても不思議な気持ちがしました。
その後、少しずつ買い出しに行ったりして元の生活に戻っていきました…
所感
ガチでコには罹らんほうがいいです。熱やだるさもありますし、何より周囲への連絡と申し訳なさがキツイ!
遊ぶな、出かけるなとは言いませんが、常に感染の危険があることを意識したほうがええです。
本当にどこで感染するか分かりません。
自分も感染の2週間前までに会った人間で感染した人は確認できていないので、なんかのすれ違いざまとか、バイトの接客中とかも候補としてあるなーという感じです。
加えて、普段会う人を特定の範囲にとどめておくことも大切だと思います。
仲がいいほうの友達ですら自宅待機にさせてしまった申し訳なさがヤバいのに、知り合い程度の人だったら死んで詫びても足りないし気まずさもエグいと思われる・・・
また、僕の場合は感染した中でも恵まれたケースだったと思います。
周囲のサポートに恵まれたこと、熱がすぐ下がったこと、咳や鼻水もほぼなかったこと、味覚がイカれなかったこと、すぐに良いホテルに入れる地域にいたこと、自分からうつした人がいなかったことなど、諸々ラッキーだったと思います。
また、療養中は、結構自分の中の考えを整理したり、物事について考えたりできたのでそれはそれでよかったです。
最後に
復帰後、公には話していませんでしたがそろそろ時効かと思い、忘れないうちに自分の記録もかねてつらつらと深夜3時に書きました。
こんなんになるんだな〜と思っていただければ幸いです。
サポートしてくれた方々、ご迷惑かけた方々、本当にありがとうございました。
記事を読んでくれた方も流行病にはお気をつけ遊ばせ!!
でわでわ。